日本史上最高のいくさの天才と言えば?
義経?信長?大村益次郎?
やっぱ大村かなあ…
義経?信長?大村益次郎?
やっぱ大村かなあ…
アドミラルトーゴーだろ。
少なくとも世界的な知名度では。
少なくとも世界的な知名度では。
東郷 平八郎は、日本の武士、軍人である。
明治時代の日本海軍の司令官として日清及び日露戦争の勝利に大きく貢献し、日本の国際的地位を「五大国」の一員とするまでに引き上げた。
日露戦争においては、連合艦隊を率いて日本海海戦で当時世界屈指の戦力を誇ったロシア帝国海軍バルチック艦隊を一方的に破って世界の注目を集め、アドミラル・トーゴー(Admiral Togo 、東郷提督)としてその名を広く知られることとなった。まずこの人は載せないとね(^^)そりゃ大楠公だろ
楠木 正成は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。
建武の新政の立役者として足利尊氏らと共に活躍。尊氏の反抗後は南朝側の軍の一翼を担い、湊川の戦いで尊氏の軍に破れて自害した。
鎌倉幕府からは悪党と呼ばれた。明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880年)には正一位を追贈された。楠公は言わばゲリラ戦術の先駆け的存在。
ベトコンがやったのも言わば楠木流兵法。おまいら児玉源太郎以外に誰がおるんじゃ?
児玉 源太郎は、日本の武士、陸軍軍人、政治家。
日露戦争において満州軍総参謀長を勤め、勝利に貢献した名将といわれている。いくさ天才の定義がむずかしい
影響範囲で追ってけば
日露戦争の山本権兵衛も勝てる海軍をつくったぞ
陸軍は山縣がバカやって大山、児玉らが尻拭い日露戦争の陸戦を事実上、勝利に導いた
黒木為禎ではないでしょうか。
世界戦史に残る、弓張嶺の師団夜襲・太子河の秘密渡河作戦。
このどちらかひとつを成功に導いただけでも、東郷平八郎に勝るとも劣らない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/黒木為禎
黒木 為は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。
第1軍司令官となり、翌月、日露戦争開戦に伴い出征。鴨緑江から奉天会戦まで連戦し、ロシア軍からは、「クロキンスキー」と恐れられた。おれも思ってたよ、黒木為禎、第一軍司令官。アドミラル東郷はすごいけど、スレタイトルの「いくさの天才」としてはどうかな戦国最強は毛利元就。
http://ja.wikipedia.org/wiki/毛利元就
毛利 元就は、室町時代後期から戦国時代にかけての安芸の国人領主・戦国大名。
安芸(現在の広島県西部)の小規模な国人領主から中国地方のほぼ全域を支配下に置くまでに勢力を拡大、
中国地方の覇者となり「謀神」「謀将」とも評されるが、「知将」の呼び名の方が高く、「戦国最高の知将」と後世評される。
用意周到かつ合理的な策略及び危険を顧みない駆け引きで自軍を勝利へ導く稀代の策略家として名高い。意表をついて毛利元就
桶狭間の信長・・・今川がたまたま桶狭間に来ただけ=運がいい
厳島合戦・・・一年に及ぶ謀略で陶を厳島におびき寄せる
同じ奇襲を以って少数で大勢を破る結果でも内容はウンデンの差。
それに超弱小国から超有力大名に出世し、幕末、さらには明治まで続いた
大名は毛利だけ。その元を作った元就は天才。
戦だけでなく戦略、政略、謀略、調略、日常生活、何を取っても完璧。
ただ先を見る目なし・・・四国、九州じゃなくて近畿を目指してれば・・・実績で言えば秋山真之
http://ja.wikipedia.org/wiki/秋山真之
秋山 真之は、大日本帝国海軍の軍人。
明治19年海軍兵学校に入学し、首席で卒業。
明治37年に始まった日露戦争では、作戦主任参謀をつとめ、東郷平八郎率いる連合艦隊の作戦を実質的に一人で立案した。秋山真之ってさ、日本海海戦の後年、海軍大学の講義で「制海権」という概念を
真っ向否定して、敵の海上兵力を撃破することこそが海軍の究極無二の目的である
見たいな事言い出しちゃって、しかも言われた学生達が希代の名軍師の一言に
揃って無批判に納得しちゃったもんだから、後々日本海軍は「商船を沈めるなどは刀の穢れ」
みたいな風潮が出来上がっちゃた、という見方がある。
ここら辺が、秋山の戦略家としての限界だったんじゃない?
尤もあの当時の連合艦隊の司令部で、後々艦隊決戦主義なんて歪な発想に囚われなかったのは
人材は加藤友三郎ぐらいだと思うから、結局皆あの大勝利に酔いしれちゃったんだろうね。ある意味、人生で一度も敗戦をしなかった徳川家康。
三方が原の敗戦は確かにそのときは惨敗だったが、
これで彼は一躍評価され、この敗戦は死ぬまでおおきな財産になった。
義経は壇ノ浦意向敗北続きだし、
秀吉は朝鮮出兵は失敗、加えて豊臣家の没落を早めている。
徳川家康は、織田信長と同盟し、豊臣秀吉と対立・臣従した後、日本全国を支配する体制を確立して、15世紀後半に起こった応仁の乱から100年以上続いた戦乱の時代(戦国時代、安土桃山時代)に終止符を打った。家康がその礎を築いた江戸幕府を中心とする統治体制は、後に幕藩体制と称され、17世紀初めから19世紀後半に至るまで264年間続く江戸時代を画した。この人は皆様よくご存知で(^^)義経は最後の最後で中国制覇、これ最強
源 義経は、平安時代末期の武将である。
兄頼朝が平氏打倒の兵を挙げる(治承・寿永の乱)とそれに馳せ参じ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、その最大の功労者となった。
その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、平氏との戦いにおける独断専行によってその怒りを買い、それに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされた。
全国に捕縛の命が伝わると難を逃れ再び藤原秀衡を頼ったが秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主藤原泰衡に攻められ衣川館で自刃し果てた。
その最期は世上多くの人の同情を引き、判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉、多くの伝説、物語を産んだ。鉄砲なし、弓、騎馬、槍などの兵数が同じであれば、
奇策を重視する兵法家である、源義経がNO.1の結果を残している。大村益次郎なり。
おそらく日本で戦略と戦術の概念の高度に理解していた
最初の人物と思われます。
大村 益次郎は、幕末期の長州藩の医師、西洋学者、兵学者である。維新の十傑の一人に数えられる。
長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となった。
太政官制において軍務を統括した兵部省における初代の大輔(次官)を務め、事実上の日本陸軍の創始者、あるいは陸軍建設の祖と見なされることも多い。幕末維新の戦場なら大村益次郎と板垣退助が抜群だろう。いずれおとらぬ戦上手ばかりだが…
高杉晋作を挙げたい!
幕末期の大村益二郎は巨星、板垣・桐野・別府ら猛将達も、
高杉にはかなうまい。
高杉 晋作は、江戸時代後期の長州藩士。幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した。奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた。面白きこともなき世を面白く最高です(^^)純粋に戦術で選ぶなら織田信長でしょうね。
政略、戦略も含めれば秀吉。
織田 信長は、日本の戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。戦国時代における三英傑の1人。
急死した父の後を受けて家督を継ぎ、同母弟・織田信行(信勝)との家督争いを経て尾張国を統一した。
以降、尾張国守護代の一家老に過ぎなかった織田家(弾正忠家)を卓越した手腕で全国最大勢力にまで押し上げる。
桶狭間の戦いは天才の業です。
まぁ、完全に計算されたものと仮定すればですが。
敵主力を最小戦力で停滞させて、主力を率いて最小抵抗線に沿って
高速機動、敵中枢を撃破する。
リデル・ハートの教科書に載りそうな戦いかたです。
他の戦いも変な表現ですがキレが良いです。
中途半端な作戦を採らず、攻めるときは徹底的に攻撃する。
さらに逃げ足も速い(藁
マンシュタインなみの天才だと思います。山本五十六に一票。
勝利数、作戦の立案能力に関しては名将は数多いが、
相当危険なリスクを冒してまで真珠湾作戦を主張・遂行し、
その賭けに勝った、この一点を買いたい。
山本 五十六は、新潟県出身の大日本帝国海軍の軍人。26、27代連合艦隊司令長官。
ソロモン戦線で米軍の攻撃によって戦死するまで太平洋戦争(大東亜戦争)前半の日本海軍の攻勢作戦、中でも真珠湾攻撃とミッドウェー海戦での総指揮に当たったことから海外でも太平洋戦争の日本を代表する提督として広く知られる。
航空作戦を海戦の主役にした山本五十六
この辺が世界の戦争を変えたといえる人物ですかねまあ史上はじめて日本を統一した神武天皇でしょうな。
神武天皇は、日本神話に登場する人物で、日本の初代天皇。
東に美しい土地があるという、青い山が四周にあり、その地には天から饒速日命が下っているという。そこは六合の中なれば、大業を広げて、天下を治めるにふさわしい土地であろう。よって、この地を都とすべきだ」と宣言して東征を開始した。豊後や筑紫にて基盤を築くのに1年かけ、瀬戸内海から吉備国を経て河内国に至る頃には、東征開始から15年の年月が過ぎていた。そして明石海峡を越えて目的の地である奈良盆地まですぐそこというところで長髄彦(那賀須泥毘古)と戦いとなり、この時の矢傷が元で兄の五瀬命(いつせのみこと)が亡くなった。
東征が進まぬ事を危惧した天照大御神により霊剣「布都御魂(ふつのみたま)」を授かった神武天皇は、八咫烏に導かれながら険しい山々を越えて吉野の地へと辿り着き、長髄彦との決戦に勝利して橿原の地を都と定めた。
あ~これ載せたら終了しちゃいました(大笑)神武天皇やはり最古にして最強(^^)皆様は誰をお勧めします??